「豊臣秀吉」は過小評価??

 

大河ドラマ『どうする家康』は、ツッコミどころ満載で、それについてはいずれ私見をまとめたいと思ってます。
 
問題山積みながら、史実.・定説・新説と
比較するキッカケにはなってますから、ガマンして残り半期しっかりチェックしたいですね👍
 
本能寺で信長政権が終焉し、ここから「豊臣秀吉」が台頭するワケですが、あらためて気づきました…………
 
世の中における「豊臣秀吉」評価が、ぼくの幼少期と比較して明らかに下がっています!
 

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一般的にはどうなんでしょうね。京都では市中ど真ん中に「瑞泉寺」という秀吉の負のイメージを象徴する史跡があります。秀吉の養子で「後継者」でありながら、実子秀頼の誕生後に「殺生関白」と言われながら一族が死罪にされた地です。五条には朝鮮侵攻の負の遺産といえる『耳塚』があり、京都人が秀吉に好感を持てないのもしゃーないですね。
 
とはいえ、京都の歴史を調べていると、現在に至る京都の都市整備の原型を作ったのは秀吉だし、最近はちょびっとですが「大阪」の歴史も興味を持ち始めてますが、大阪の都市の原型は豊臣政権時が起点になっています。徳川家康三河尾張駿河から関東に移封したのも秀吉ですから、東京の原型を作ったのも、間接的ではあるものの秀吉といえます。
 
何より、日本で最初の「全国統一政権」を樹立した人物です!
 
にもかかわらず、2022年11月号の雑誌『歴史人』の特集「日本史の新常識」では、なんと中学社会教科書への「不採用人物」候補の例として秀吉が挙がっていました。
 
確かにぼく個人の心情的にも秀吉はあまり思い入れはないのですが、それでもぼくの幼少期では京都のお年寄りは秀吉のことを「秀吉」とは呼ばずに「太閤さん」と敬意と親しみを込めて呼んでいましたから、そんなには「反感」はなかったのかも知れません。

 

大河ドラマでは、現時点では秀吉はそこそこの存在感はあるものの、あくまで「曲者」的な扱いで、その能力や人物的魅力の源泉はスルーされているように思います。
 
 本能寺時点では信長の一部下であった秀吉が、これから後世の歴史まで変えてしまう「絶対政権」を樹立するワケですが、大河ドラマと並行して調べモノを継続し、新しい「太閤さん像」を見直していきたいですね。